今日の聖書個所は、通常ですと、3・4回語るような個所です。実際にそのように語ったこともあります。しかし今回は、全体の流れをみたいので、細かい点は省いて、全体の要点をみていきましょう。
まず、よく指摘されることは、主イエスがこの女に語りかけることの異常さです。男性であり、ユダヤ人である主イエスが声を掛けます。これだけでも十分に異常なのですが、この女も異常です。昼日中に水を汲みに来ます。最近は日本でも夏はとても暑いので、実感をもって感じることができるのではないかと思います。普通は、朝か夕方に水を汲みます。この女は、主イエスが指摘なさるように(17節後半から18節)、他の女たちと顔を合わせたくない事情がありました。
しかし、主イエスがどなたであるかが分かると、すっかり様子が変わります。町の人々に自分から話しかけています。27~30節です。その前の、主イエスと女の会話も礼拝とは何かをはじめ、みるべきことがたくさんあります。今日は一つの点に集中します。13~15節です。主イエスがここで語っておられるのは、勿論比喩的な意味です。が、女は字句通りの意味にとっています。
人と会うことさえ避けていた女がなぜ突然変わったのでしょうか。永遠の命に至る水が何であるか、彼女なりに分かったからではないでしょうか。
最後に人々の反応をみて終りましょう。39~42節です。ここに、イエスを信じてもまだ完全には解放されていない姿があります。この人々は、この「女の言葉によって」信じたにもかかわらず、「自分で聞いて分かったから」と言います。これは、主イエスを信じつつも、まだ終末を迎えていない私達の姿に通じるものがあります。

