千葉市花見川区幕張町にあるプロテスタントのキリスト教会です。

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天地が消え失せるよりも(ルカによる福音書16章14~18節)

 今日の聖書箇所では、まずファリサイ派の人々が主イエスをあざ笑います。14節です。なぜ笑うのでしょうか。二つの可能性があります。一つには、自分たちはまっすぐに神に従っているのだという自身です。神か富かなどという問いを立て …

神と富(ルカによる福音書16章1~13節)

 前回まで三つの見出されたもの(羊、銀貨、放蕩息子)の例えでした。そこで大切なことは、見出した者の喜びと、その喜びに連なる者になるということです。  そこまで主イエスは、ファリサイ派や律法学者の方々を中心に人々に語ってお …

もう一人の放蕩息子(ルカによる福音書15章25~32節)

 前回はとても分かりやすい放蕩息子の話、弟の話でしたが、今回は兄の話です。兄は、父親の言いつけに一度も背いたことがない(29節)品行方正な人物です。しかし弟の帰還によって、いわば化けの皮がはがれてしまいます。 25~28 …

放蕩息子の弟(ルカによる福音書15章11~24節)

 説教題を決めた後で気が付いたのですが、この題だと放蕩息子は兄で、その弟という読み方のほうが普通かもしれません。確かに次回みますように、兄もある意味で放蕩息子かもしれませんが、今日は弟の話です。つまり「の」は同格の「の」 …

なくした銀貨(ルカによる福音書15章1~10節)

 この二つの例え(羊と銀貨、更に次の放蕩息子の例え)を並べてみると分かることは、様々なパラフレーズすることはできるとしても、やはり一番大きなテーマは、見出した者(羊飼い・女、そして天・神)の喜びです。羊はまだしも、銀貨が …

見失った羊(ルカによる福音書15章1~7節

 私は讃美歌は基本的に好きです。かつては、聖書の朗読と説教があればよい、讃美歌などなければ礼拝はもっと楽しいのに、と、思う位、讃美歌が嫌いでした。しかし神をほめたたえて歌うことの喜びを知ってから、讃美歌が好きになりました …

十分な計算(ルカによる福音書14章25~35節)

 今日の聖書箇所で、主イエスがまず語っておられるのは、すべてを捨てて自分の十字架を負って生きることです。それだけが、主イエスの弟子として歩む道です。25~27節です。憎むというのは、厳しい言葉ですが、当時の表現として、愛 …

招かれた客は誰も(ルカによる福音書14章15~24節)

 今日の聖書箇所は、天国での食事がテーマです。まず、その食事の席にいる人が語ります。15節です。それに答えるようにして主イエスが例え話をなさいます。当時の招きは二段階でした。まずおおまかに招待します。そして準備ができると …

主の招きを受けて(ルカによる福音書14章1~14節)

 今日の聖書箇所は安息日のことです。安息日には、礼拝の後で食事をする習慣があったようです。1・2節です。水腫を患っている人というのがどういう方なのかよく分かりませんけれども、むくみを伴う、見るとすぐに分かるような病であっ …

自分の道を進む(ルカによる福音書13章31~35節)

 前回同様今回も、主イエスは主イエスのもとに来る人々に対して、直接には答えていません。前回は救われる者の人数の問題でした。今回はヘロデの話です。31節です。このファリサイ派の人々の発言は、主イエスを心配してのものなのか、 …

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