まず1節です。なぜユダヤを巡ろうとは思わなかったのか。ユダヤ人の殺意が渦巻いていたからです。尤も次回の個所では、こっそり隠れるようにして上って行かれるのですが、それはまた次回の話です。
主イエスの時、十字架と復活の時、過越の祭りの時は、まだ来ていません。だからまだ殺されるわけにはいきません。今回は、仮庵祭です。2節です。これは秋の祭りで、私達には過越の祭りが身近ですが、かつては、この仮庵祭の方が大きな祭りだったという説もあります。エジプトで定住生活をしていたヘブライ人が、荒れ野では仮庵(仮小屋)で生活するしかありません。そのときのことを思い起こしてある安息日から次の安息日まで仮庵で過ごすお祭りです。
主イエスと兄弟たちの対話です。3~5節です。兄弟たちの発言は、まるで主イエス信じているかのようです。しかし福音書記者は、はっきりと言います。5節です。いっけん信じているかのような発言をしても、主イエスの仰る「時」がまるで分かっていないので、信じてはいません。
更に対話は続きます。6~9節です。主イエスと弟たちの違いがはっきりと語られます。主イエスの時はまだ来ていませんが、彼らの時はいつも備えられています。主イエスは、世の行っている業を悪いと証しているので、兄弟たちと違って憎まれます。だから、主イエスを殺そうとします。
主イエスの兄弟という身近な存在であっても、主イエスのことが分からない彼らです。私達は、主イエスと血のつながりがあるわけではありませんが、主イエスを長子とする兄弟の交わり・群れに加えられた者たちとして、たとえ人々から憎まれるとしても、主イエスに従う歩みを続けましょう。

