今日の聖書箇所、宮清めの出来事は、このヨハネ福音書と共観福音書では、全く違う位置に置かれています。共観福音書では、最後の方ですが、ヨハネ福音書では、最初の奇跡、しるし、カナの出来事の直後です。従って、共観福音書では受難物語に位置づけられているこの出来事が、ヨハネでは福音書全体に掛かるような形になっています。


 まず前半です。13~16節です。他の福音書との大きな違いは二点あります。まず14節の「牛や羊」です。大きな動物も取り上げられています。今一つは、縄で鞭を作ること(15節)です。


 この宮清めの出来事は、数少ない主イエスが暴力を肯定している箇所だと読む方々もいます。しかしここで、主イエスは誰にも暴力を振るっていません。お金や台には暴力的ですが、人に対する暴力はありません。だから、暴力肯定の根拠にすることはできません。現代に通じるような権力がもつ許認可の問題はありますが、また、外国や地方から出てきた人々に便宜をはかるという面もあります。


 17節は、弟子たちの感想です。主イエスの熱心さに対する素直な感想でしょう。


 そして後半もまとめて読みましょう。ユダヤ人というのは、神殿での権力・顕現をもつ人々でしょう。神殿はとても広いので、神殿当局全体を揺るがすことにはなっていませんが、神殿のユダヤ人は、主イエスが何の権限でこんなことをするのかを問います。それが「どんなしるしをみせるのか」です。


 神殿を三日で建て直すというのは、勿論、物理的な神殿ではなくて、21節にあるように、主イエスご自身のことです。だから弟子たちは、主イエスが復活なさった後で、やっと理解します。もはや建物やシステムが問題ではなくて、主イエスがおられることが、神が共におられる神殿です。主イエスは、神殿という神の住まいを経済活動で汚す人々が赦せません。現代においては、私達が神殿なのですから、私達は私達自身を大切にすることが大切です。