先週はイースター礼拝でした。一年で最も大切な礼拝です。そもそも毎週日曜日に礼拝をするのも、日曜日が主イエスの復活なさった(曜)日だからです。
今日の聖書箇所は、前回の続きです。まずパウロが述べることは、「復活はあるのだ」ということです。12~15節です。死者の復活などない、というのは、当時パウロに反対する人々の主張でした。ただ彼らの主張は、キリストの復活はあるが、一般的な死者の復活はない、というものでした。それをパウロはきっぱり否定します。16節です。
そしてキリストが復活しないことの意味を語ります。17~19節です。最も惨めな者です。「しかし実際」と述べて、パウロはキリストの復活があったのだと語ります。20~22節です。アダムによって死が人類にもちこまれたように、復活もイエス・キリスト一人によって、私達にもたらされました。
ただそこには順序があります。23~25節です。ここでは、単に復活の順序だけではなくて、再臨や終末、またキリストの支配が視野に入っています。最初にキリスト、というのは、既に起きたキリストの復活のことです。そして再び来られる再臨のときには、キリストに属する私達が復活します。それから、世の終わりがきます。キリストに属さない者たちがどうであるかは全く触れられていません。恐らく関心の外なのでしょう。
それから、キリストが全ての支配、権威や勢力を滅ぼします。そして神の国を父なる神に引き渡します。そしてキリストは全ての敵を自分の足の下に置きます。これはエジプトや中近東でみられるイメージです。
主イエス・キリストは復活なさり、私達を復活へ神の国へ招いてくださっています。この招きに応える生き方をしましょう。

