今日からヨハネによる福音書の講解説教です。今までに、マタイ、マルコ、ルカの講解説教はしましたが、ヨハネは初めてです。そして、マタイ、マルコ、ルカの三つが共観福音書と呼ばれていて、似通っているのに対して、このヨハネだけが大分違います。


 1節から18節までが、いわばプロローグで、本文は19節からです。まず最初に語られているのは、言のことです。これは、ロゴスのことで、あえて言葉ではなくて、言としたところに、翻訳なさった方々の苦労がにじみ出ています。ロゴスとは何かを論じ始めるときりがないので、今日は触れることはしません。ただ、私達が普通に考える「言葉」とは違うのだということだけ、覚えておいてください。


 この「言」を大切にすることが私達教会の信仰の要の一つです。今日の聖書箇所の1~3節です。言は、天地創造のはじめからありました。創世記の最初のところをみると、神は全てのものを創造するのに、言で行います。そしてこの「言」こそが、最初から神と共にあり、神そのものです。「共に」と「である」は、矛盾するようにみえますが、三位一体の神という視点からは、何の矛盾もありません。
 この「言」を見る上で大切なことは、この言葉の内に命があったということです。4・5節です。この命は、私達人間を照らす光です。この光こそが、暗闇の中で、輝いています。もしも暗闇が光を理解したならば、全てが光となって、平和です。しかし、暗闇は光を理解しなかったので、あらゆる矛盾や罪、神に抗うものが生まれました。平和ではなくて争いが、愛ではなくて憎しみが、希望ではなくて絶望が生まれました。


 だからこそ、ロゴス・キリストが、天地創造の時だけではなくて、救いのために、必要になったのです。このキリストのゆえに、私達は救いを与えられました。このことに感謝して、新しい一週間も歩みましょう。