前回は、主イエスの言葉の途中で終りました。35節です。主イエスのもとに来る者、信じる者は、飢えることも渇くこともありません。ところが、ユダヤ人の多くは、主イエスを信じる者は少なかったようです。36~40節です。主イエスをみているのに信じません。主イエスはただ、父なる神の御心を行います。信じる者が永遠の命を得る(終わりの日に復活する)ことが父なる神の御心です。
41・42節です。主イエスを人間として知っているかどうかで、信じられるかどうかが決まるわけではありません。彼らには、知っていることがつまずきになっています。私達は、主イエスを人間としては知りませんが信じています。
主イエスは答えて言われます。43~46節です。今日の説教題はこの個所からとりました。父なる神が引き寄せてくださるのでなければ、誰も主イエスのもとへ来ることはできません。主イエスだけが、父なる神をみました。そして父なる神の御心をご存じです。神に引き寄せて頂くことが大事です。神に引き寄せて頂くためにはどうしたらよいのでしょうか。神のなさることなので、私達の側でどうこうすることはできません。ただ神のみができることです。
では私達の努力は無駄なのでしょうか。そうだともそうでないとも言えます。予定説について今一度みてみましょう。神の予定として決まっているという意味では無駄です。しかし私達には神の予定が分からないので、無駄と断じることもできません。私達にできることは、神が引き寄せてくださるように願い求めることだけです。
47節からは、「はっきり言っておく」と大事なことを語る時の決まり文句ではじまります。47~51節です。今日は、「世を生かす」に集中しましょう。今世界は分断の時代だと言われます。「世を生かす」神・主イエスの業と異なり、罪人の業は、世を分断し混乱と混沌をもたらします。私達は世を生かす側でありたいものです。

