今日の聖書箇所は、宮清めの出来事と、ニコデモとの対話に挟まれた短い箇所です。前の宮清めに繋げて読むことも、ニコデモとの対話の先触れとも読むことのできる箇所です(本来の聖書には章や節はなかった)。いずれにせよ、薄く読み過ごしてしまいそうなこの箇所にも、とても大切なことが書かれています。


 まず23節です。主イエスのなさったしるし・奇跡をヨハネ福音書記者は、丁寧に可能な限りに描くのではありません。中身が記されないようなしるしを主イエスはここで行っておられます。そしてそのしるしによって、多くの人が主イエスの名を信じました。これは、主イエスを信じたと言い換えることもできます。ずっと待っていた救い主が来られたのだと信じました。


 しかし主イエスの方は、主イエスを信じた彼らを信用されませんでした(24節前半)。そしてその理由もはっきりと描きます。24節後半から25節です。主イエスは、私達人間の心の中に何があるかを知っておられました。この頃、主イエスは既に人々が自分を拒否し殺す事が分かっていたのではないでしょうか。


 私達の心の中には様々なものが渦巻いています。誰か他の方に対する深い愛、自分を犠牲にしてでも相手を助けたい、救いたいと思う愛の心もあるでしょう。しかし利己的な、自分さえよければよいという思いもあります。救い主を殺してしまうような心もあります。宗教改革者ルターもまた、大勢の偉人の心の中と同様に、自分の心の中にもそういう醜いものがあるのだということを彼の説教の中で語ります。


 この個所を読むときに、共に覚えたいのは、次の3章18節です。聖餐の時に読みますので、聞き覚えのある方が多いと思います。私達の心の中を探れば、とても神に信頼して頂けるようなものは何もない。しかしこんな私達のために、神はその独り子を与えてくださったのです。私達の心の中にある何か素晴らしいものによってでは決してありません。ただ神が一方的に主イエス・キリスト、神の独り子を与えてくださり、それゆえに私達は永遠の命にあずかるのです。この事実のゆえに、神をほめたたえましょう。