今日の聖書個所は、四つの福音書全てに描かれています。しかしその文脈上の意味は異なります。特にこのヨハネによる福音書では、何人もの方が、6章全体で読むべきだと述べています(カール・バルトや加藤常昭など)。
実際この個所全体のポイントは、主イエスが命のパンであることです。その先触れとして、五千人の給食と、湖の上を歩く記事があります。さらに聖餐式との関連を指摘されますが、給食を聖餐の根拠とすることはできません(今日は詳しく述べませんが)。
今日の個所でまず主イエスは弟子のフィリポを試します。1~7節です。ガリラヤ湖をティベリアウ湖と言い換えているのは、ローマ帝国との関係を示唆するためでしょう。そしてフィリポを試すというのは、主イエスがこれから何をしようとしているかを知っておられるということです。
主イエスは、この給食の物語を通して、自分が神から特別な力を与えられた方であることを示します。この個所の合理的な解釈として、群衆が自分のものを差し出したという解釈もあります。主イエスがわずかばかりのものでも人々に分け与えられようとしているのをみて、自分だけのためにとりわけていたものを差し出したというのです。そういう解釈もありえますが、主イエスが神の子であることを思えば、ここでも奇跡が起きていると解釈するほうが自然でしょう。8~15節です。
三つのことをみておきましょう。まず第一に、12人の弟子たちに対して、12籠余ったことです。弟子たちは、主イエスのなさった奇跡から、ひとりひと籠ずつ託されたと言えます。第二に、主イエスは人々によって「王」にされることを拒まれました。第三にひとりで山に退かれました。自分がこの奇跡の業で高慢になることなく、あくまでも謙遜に歩みをなしていくためでしょう。主イエスはひとり祈るために退かれたと読むべきです。

