今日の聖書箇所は、前回の次の日に位置づけられています。しかし前回の箇所でも申し上げましたように、ヨハネ福音書記者独特の表現であり、別の日という位の意味でしょう。35節です。既に主イエスに聖霊が降るのを見た(34節)ので、弟子たちに語ります。36・37節です。これをきっかけに、二人のヨハネの弟子たちは、主イエスに従っていきます。
38節は、私達が当時の状況を知らないでなんとなく読むと繋がりがよく分かりません。当時の習慣では、弟子は(また弟子になろうとする者は)、ラビの泊まっているところに行って、共に泊まって、教えを請います。この福音書で最初の主イエスの言葉が「何を(あるいは誰を)求めているのか」であることも、興味深いことです。主イエスが私達に語りかけてくださる最初の言葉は、私達が何を求めているかを聞くことです。ある方は、教会に来る人が教会で得ることのできるものは、自分が求めていることだ、と仰います。確かにそういう面もあります。しかし、私はそれだけではなくて、私達が求めるものを超えて、主イエスは恵みを備えてくださると思います。
主イエスは答えます。39・40節です。主イエスは、この二人を拒否なさらないで、主イエスと共に泊まることを許します。午後4時というのは、この出来事が時刻も書き留めておきたい位、弟子たちにとって大切な出来事であることを表しています。
ここで名前を記されていないもう一人の弟子は、後に出てくる「主の愛した弟子」かこの福音書を記したヨハネか、という推測がされますが、実際には分かりません。
そして、アンデレは、自分の兄弟シモンを主イエスの所につれてきます。伝道はとても大切なことです。教会のために伝道するのではない、伝道するために教会があるのだとは、今までにも何回も語ってきたことです。何か教会が華々しい活動をして、それで人々が集まるということではなくて、一人ひとりが誰かを誘う、そのようにして教会は広がっていきます。
最後に、41・42節です。早くもここで、教会の基礎となる「岩」が名付けられます。昔も今も、教会は主イエスと出会った者が他の誰かを誘うことで育っていくことを私達は今一度心に刻みましょう。

