今日の聖書箇所は、前回の次の日に位置づけられています。29節です。この福音書では、ここではじめて、主イエスが、「世の罪を取り除く神の小羊」と言われます。洗礼者ヨハネは、彼の洗礼活動をはじめる時点では、まだこのような自覚はなかったようです。30・31節です。洗礼者ヨハネは、後から来る方、自分よりも優れた方、先におられた方が誰であるか分からないで、ヨルダン川での洗礼活動をはじめます。
そこへ主イエスがやってきます。32~34節です。聖霊が鳩のように主イエスに降るのをみて、ヨハネは主イエスがどなたであるかが分かります。自分が水で洗礼を授ける意味を知ります。
尤も共観福音書とヨハネ福音書の決定的な違いは、主イエスがヨハネから洗礼を受けるかどうかです。ヨハネ福音書記者が主イエスの受洗を知っていて、あえて描かなかったのか、知らなかったのかは、私達には分かりません。少し穿った見方をすると、ヨハネ福音書が書かれた頃には、マルコ福音書が書かれた頃よりも、シナゴーグ(ユダヤ人会堂)とキリスト教会の関係が悪くなっていたので(先週も少し触れましたように)、主イエスの受洗は省いたのかもしれません。
そして最後に、「聖霊によって洗礼を授ける」と言われていることは、実際には主イエスの弟子たちが洗礼を授けます。それを婉曲に表現したのだとみることができます。
主イエスが、私達の罪を取り除く神の小羊であることをこれから深く味わっていきましょう。この事実を伝え知らせるために、私達教会はあるのですから。

