イースター、おめでとうございます。
今日も教団聖書日課です。このコリント一15章は、聖書全体の中で、復活について最も丁寧に描いている箇所です。しかし、教会は、死後の世界とか復活の様子、仕方などについてはほぼ関心を示しません。なぜなら、普段から申し上げているように、神・キリストに信頼しているならば、神・キリストが保証してくださるので、死後のことは何も怖くないからです。
パウロは、まず福音について語ります。1・2節です。その中でも大切なことは、キリストの死と葬り、そして復活と顕現です。3~8節です。特に顕現については、自分よりも前に大勢の人々、特に使徒たちに顕れたことが語られます。パウロ自身の自己理解としては、月足らずで生まれた私にも最後に顕れたということです。これは、パウロの謙遜の表現ですが、見せ掛けの謙遜(本当は自分はたいしたものだと思いつつ、建前として謙遜してみせている)ではありません。
そのことは、その後に語られるパウロの自負からも分かります。9~11節です。「他のすべての使徒よりずっと多く働」いたと語りつつも、自分がしてきたことは、「私ではなく、私と共にある神の恵み」だと言います。これは、二千年の教会の歴史の中で、多くのキリスト者に共通する自己理解です。例えば孤児院(今ですと児童擁護施設)を創設なさった方や、様々な成果を残した平和活動など、多くの場面でみられるものです。
私達は、自分がキリスト者として判断するときに、それが(神様抜きの)自己判断になっていないか、きちんと神への祈りの内に行った判断であるか、自己吟味することが必要です。さあ今日、主の復活を喜び祝いつつ、私達を主の復活という原点に立ち返らせてくださる神様に感謝しましょう。

