前回の聖書箇所は、「アーメン」で終っていました。また今日の聖書箇所では、迫害を強く感じさせるような文章になっています。そこで、前回までと今回からの箇所は別の時期に書かれたのではないかと、推測する方々もあります。


 いきなり試練から話ははじまります。12節です。火の試練があるであろうことが描かれています。「火」には、二重の意味があります。一つには、過酷な試練としての「火」です。そして今一つには、「火で精錬される」という言葉があるように、不純物が燃やされて、純粋なものになるという意味です。13節です。将来の喜びを先取りして、今喜びます。それはまた、栄光の霊、神の霊が私達の上にとどまってくださることです。14節です。


 まず、悪いことをして苦しむことのないように、と、勧められます。15節です。キリストのために苦しむことには意義があります。しかし自分が悪いことをして苦しむのは、問題外です。次に、16~18節です。迫害のように、キリストのために受ける苦しみは、恥じることなく、神をほめたたえるべき事柄です。そこで考えられていることは、終末・再臨の先取りです。終末の日の栄光を既に今先取りして、感謝と喜びをもって生きます。


 そこでなすべきことは、善い行ないを続けること、そして魂を神に委ねることです。19節です。苦しみの中で、私達は苦しみからどうしたら逃れることができるかと考えがちです。しかしそうではなくて、魂(これは全存在ということです)を全てをお造りになられた、真実であられる神に委ねることです。