前回の聖書箇所のポイントの一つは、「喜びのあまりまだ信じられず」(41節)です。弟子たちは、主イエスが共におられる喜びに包まれつつも、理性・理解の点では、まだ納得していません。
だからこそ、まず彼らは心の目が開かれることが必要でした。44~46節です。今主イエスが弟子たちに教えていることは、十字架よりも以前に、弟子たちに語ってこられたことです。必ず全て実現すると語ってこられたのに、弟子たちには理解できませんでした。なぜなら、彼らの心の目はまだ閉じられていたからです。主イエスについて書かれた(旧約)聖書を理解するためには、心の目が開かれることが必要です。心の目が開かれてはじめて、彼らは主イエスの復活の出来事を理解します。この出来事があったのは、エマオへの途上の日であり、それは復活なさった日です。復活なさったその日に、主イエスは弟子たちの心の目を開いて、死者の中からの復活の出来事を悟らせます。
そしてそれは、直ちに弟子たちの派遣です。47・48節です。ここでは既に全世界が視野に入っています。罪の赦しを得させる悔い改めこそ、弟子たちが、それゆえ私達が宣べ伝え続ける内容です。
ただしそれは、ペンテコステ・聖霊降臨の出来事が起こってはじめて実現します。だから、49節です。私達は、聖霊、神の霊、キリストの霊に押し出されて、宣教の使命に向かいます。

