今日の説教題は、新共同訳聖書の表題からとりました。ただしここには、御子の権威について直接表現している個所はありません。むしろ、主イエスの無力が最初と最後に描かれています。19節と30節です。主イエスは、父なる神がなさることを見てはじめて様々なことをなさいます。自分からは何事もできません。さらに、「自分では何もできない」(30節)と仰います。そこでは確かに、主イエスの無力が語られています。ただしそれは、父なる神と一つであるということです。主イエス・キリストは、単に無力なのではなくて、父なる神と一つだから、主イエスだけでは無力です。主イエスの権威は、父なる神と関係のない、独立した権威ではなくて、どこまでも父なる神の権威によるものです。父なる神抜きにして、主イエスに権威があるのではありません。


 今日の個所には、「はっきり言っておく」(アーメン、アーメン)が三回出てきます。19節と24節、そして25節です。24・25節。ここでは、永遠の命、そして生きるということが問題になっています。主イエスの言葉を聞いて、父なる神を信じる者が永遠の命を与えられます。そして死んだ者が神の子の声を聞き、生きます。死んだ者とは、一義的にはまさに既に死んだ者です。しかしさらに、キリストと出会う以前の、「死んだ者のように生きる者」をも指すでしょう。死んだ者が、キリストと出会って、神の子の声を聞き、生きる者になります。


 私達は、イエス・キリストほどはっきりと自分の無力を自覚しているでしょうか。以前には、「自分は一角のもの」であると自認していた私達が、そうではない、キリストでさえ、自分の無力を父なる神への信頼の中で自覚なさったように、私達もまた、自分の無力を自覚するときに、永遠の命を生きる者となるのです。