前回からペトロの手紙を読みはじめました。前回は、最初の短い挨拶でした。今日はその続きです。まず、神がほめたたえられますように、と言います。1~4節です。神をほめたたえる、その根拠が3節後半から4節に描かれます。新生と希望と継業です。キリスト者になることで与えられる恵みが、実にコンパクトに三つにまとめられています。


 まず新生、新しく生まれることです。実際私達は洗礼を受けるときに、古い自分が死んで新しく生まれることを体験します(ヨハネ福音書3章7節参照)。そして、キリストの復活によって、私達には生き生きとした希望が与えられています。それは、終わりの日の継業へとつながっています。


 しかもこれらのこと、また私達自身が守られるように、神の力、信仰によって守られています。5節前半です。これらのことこそ、私達の喜びの源です。私達はどんな状況になっても喜ぶことができます。もしも、私達が喜びの内になかったら、それは信仰の何かがおかしくなっています。そうならないように、私達は常に信仰の原点、主イエスの復活の事実に立ち返らなければなりません。


 次に、6節後半7節です。試練とは何でしょうか。様々な試練がありますが、例えば迫害もあるでしょう。はじめの頃の迫害は、ユダヤ人によるものでしたが、ローマ帝国による迫害へと移行していきます。この手紙が書かれたのは、その変わり目の頃であると考えることができます。試練がもう目前に迫っている、もしくは既に試練の時ははじまっている、そういう中でペトロは。諸教会の人々を励まします。私達の信仰が本物だと証明されます。再臨のときには、称賛と光栄と誉れをもたらします。


 これらのことがあるので、8・9節です。今一度ペトロは喜びを強調します。試練に負けない喜び、満ち溢れる喜びがあり、信仰の実りとして魂の救いを受けています。なぜ、あったこともないのにキリストを私達は愛しているのでしょうか。私達はそれぞれの仕方でキリストと出会い、終末・再臨までその完成は待たなければならないとしても、今既に救いの喜びを味わっているからです。