最初の7・8節は、前回も読みました。まず7節です。万物の終わりが近づいている。これは私達キリスト者が生きる上でとても大切な認識です。聖書の時代から二千年が経ちました。それで、もう終末は来ないのではないか、と勘違いする方もいます。勿論そうではなくて、終末は更に二千年近づいています。一部の異端のように、終末がいつ来るかを特定することはできません。聖書にあるとおり、天使たちも子なる神イエス・キリストも知りません。父なる神だけがご存じです。だからこそ(いつ来るか分からないからこそ)そのときに備えておくことが必要です。


 そこで私達に求められているのは、祈ることです。思慮深く、身を慎んで、祈り続けることです。それはもっと具体的にいえば、8・9節です。愛ともてなしです。


 これは別の視点でいえば、互いに仕え合うことです。10節です。その実例が11節前半です。ポイントは、私達が皆、神様から賜物を授かっているという事実です。日本では、謙遜が美徳とされてきましたが、一歩間違うと、怠けること、何もしないことの言い訳になってしまいます。自分が何もできない無能な人間などではなくて、神が相応しく賜物をくださっています。そして私達はその賜物を他者のために用いる責任があります。


 そしてそれは、自分のためではなく、相手のためでさえなく(結果的にそうなることは多いののですが)、神の栄光のためです。11節後半です。この箇所のポイントは、「イエス・キリストを通して」です。キリストと無関係に、私達が神の栄光を表すのではありません。いつだって、私達はキリストに従うのであって、神・キリストの恵みによって、私達は賜物・恵みの善い管理者として、神に栄光を帰します。