今日の聖書箇所で勧められているのは、愛し合うことです。22節です。清い心で深く愛し合うことです。その根拠は三つです。まず第一に、私達が真理を受け入れたことです。この真理とは、主イエスの十字架によって私達の罪が赦されたこと、また復活によって永遠の命へと私達が招かれていること、またそれらに付随する様々なことです。第二に、魂を清められたことです。魂とは、精神的・心理的な人間の一部分ではありません。人間の本質であり、その人に固有の何かです。前回の「聖なる者」になることです。そして三つ目は、(少しその後の勧めと被っていますが)偽りのない兄弟愛を抱くようになったことです。
それは、新たに生まれたということです。23節です。この世界の様々なものが朽ちる種から生まれているのに対して、朽ちない種から生まれました。それは、神の変わることのない生きた言葉です。
この生きた言葉をペトロは、イザヤ書40章からの引用で説明しています。人の世の移ろい易さが草や花に例えられて、その対比で、主の・神の言葉の永遠が示されています。このイザヤ書自体は、バビロン捕囚の中で苦しむ人々への言葉ですが、また神の言葉の普遍的な真実も表現しています。そしてこれは例えば先日まで読んでいたルカ福音書では、いちじくの木の例えでも、「天地は滅びるが、私の言葉は決して滅びない」(ルカ21章33節、マタイ、マルコも同じ)と語られています。
私達の信仰が、私達の思いや考えに根拠があるとしたら、それは草や花と同じように、脆く弱いものにすぎません。しかしこの方、主イエス・キリストの福音に根拠があるので、神の言葉と共に、私達の信仰もまた、永遠です。

