ここしばらくの聖書箇所は、偽預言者・偽教師の話が続くので、この箇所だけでは、福音的・建徳的なお話しをするのは難しいです。可能な限り、暗い破滅的な方向ではなくて、明るい福音的な方向へ語りたいと思います。
まず10節後半です。彼らがそしるのは、「栄光ある者たち」です。それはなによりもまず、高位の天使たちのことだそうです。しかしそればかりではなくて、恐らく偽物ではない、本物の預言者や教師のことも考えてよいでしょう。彼ら偽教師たちは、自分たちに否定的な、本物の教師をそしります。この「そしる」という問題は、現代のSNS社会では、以前よりももっと繊細な難しい問題になっています。例えば、超大国が、フェイクと言われる嘘の情報を広げています。そして大金持ちのひとが、フェイクをユーモアとかパロディだとうそぶいています。責任ある立場の人が、その責任を放棄して嘘や偽りで凝り固まった言説を用いるとしたら、私達は何を信じたらよいのでしょうか。私達自身が偽物と本物とを見ぬく力を身に付けるしかありません。しかも善意の人が、嘘を見ぬけないで広げてしまう側に回ってしまうことも多いのです。
11節です。天使たちでさえも、力も権能もはるかに勝っているにもかかわらず、そしったり訴えでたりしません、主の御前で。彼らの滅び・破滅を知っているからでしょう。 次に12節です。知りもしないことをそしるのは、実に愚かなことてす。誰かからのそしりを聞いて、信じ込み、自分もそう思います。根拠が分からないにも関わらず、リツイートしたり、「いいね」を押したりします。私達は、分からないものは、分からないと判断して、関わらないのが賢明です。そうでないと、動物のように滅びることになります。
最後に、13節です。不義を行う者は、不義に相応しい報いを受けます。勿論、私達は信仰義認を信じます。だから、不義から立ち返って義に生きるならば、そこには良い報いがあります。それに対して、不義に生き、騒ぐような人々には、厳しい裁きがあります。私達は、騒いで裁きを受ける側ではなくて、主イエス・キリストに従って、それゆえに、神の国に迎えられる生き方をしましょう。そこに感謝と喜びがあります。

