今日の聖書箇所に出てくる人物は、主に二人です。ラザロと金持ち(こちらは名前が描かれていません)です。まず、19~21節です。金持ちは、自分の財産によって、遊び暮らしていました。対照的にラザロは、飢えに苦しんでいます。20節の「横たわって」は、誰か別の人によって「横たえられて」という言葉です。この金持ちによってなのか、別の誰かによってなのかは分かりません。ただ自分の家の門前にラザロがいても追い払わないのですから、全く憐れみの心がないわけではありません。


 そしてラザロも金持ちも死にます。22~26節です。私達にとっては、生前に貧しかった人が豊かに恵まれ、金持ちが陰府でひどい目にあうのは、よく分かります。しかし当時の普通の感覚では、金持ちの人は神に正しく従ったから金持ちになれるのだということでしたから、既にこの死後の世界の出来事自体が、当時の常識を越えています。そもそも主イエスは殆ど死後の世界を語りません。神に全て委ねればよいのであって、詮索する必要はありません。


 今日の箇所で主イエスが死後のことを語るのは、それが目的ではありません。27~31節です。死後の世界からラザロが遣わされても無駄です。この金持ちは、とても悪い人物のように思われがちですが、自分はもう仕方がないがせめて兄弟は助けたいと願います。しかしアブラハムはこの金持ちの願いを断ります。律法と預言者(旧約聖書)が与えられているからそれで十分だ、「たとえ死者の中から生き返る者があっても、その言うことを聞き入れはしない」のです。


 これは、主イエスの十字架と復活という将来が指し示されています。主イエスという神の子が復活してもなお、神の国を拒む人々がいるのも事実です。一人でも多くの方が救われるように、私達は主イエスの事実を宣べ伝えていきましょう。