今日の聖書箇所でも勧めが続きます。前々回の聖書箇所では、勧めと共に「主の言葉は永遠に変わらない」と語られていました。前回には、私達は祭司として、まだ神の民ととなっておられない方々に広く伝えることも求められていました。
今日の聖書箇所でも、勧めと共に、大切なことが語られています。11節です。(もう既に語られたことですが、1章17節後半)、私達は旅人、仮住まいの身です。そしてここで勧められているのは、「魂に戦いを挑む肉の欲を避け」ることです。肉の欲とは、いわゆるセクシャルな意味の肉欲のことではありません。霊肉二元論(神に従う霊と、神に逆らう肉)について。
では、魂に戦いを挑む肉の欲とは何でしょうか。今日の箇所で、この後勧められることは、その具体例だと読むことができます。まず、12節です。訪れの日には、二つの解釈があります。一つには、再臨・終末のことです。いま一つは、私達キリスト者も、キリストの訪れの日があって、神の恵みに生き始めたように、彼らにも訪れの日が来る、その時に,神を崇めます。
更に勧められているのは、13・14節です。服従することが求められています。これは、私達に求められている社会倫理的な要請です。これは最初に「主のために」と理由が描かれていて、更に最後に「善を行って…神の御心だから」と語られています。不当な間違った権力に従うべきかということが問題になります(ボンヘッファーなど)。私達は、自分は不当な権力者を裁く権利があるなどと傲慢になるのではなくて、神の御心がどこにあるのかを真摯にたずねもとめる中で、自分たちの行動を決断していくべきでしょう。
そこで大切なことは,自由な人であり続けることです。16・17節です。自分の欲望に忠実だという自由は、むしろ神の僕であることを放棄し、肉の欲に従ってしまうことになります。逆に、神の僕として生きるところに、私達の自由はあります。

