今日の説教題は21節からとりました。前回に引き続き、今回も偽教師に対する厳しい批判が続きます。


 17節、18節前半です。干上がった泉、霧、深い暗闇です。そこにあるのは、何も生み出さない空虚さですが、それとは正反対に大言壮語します。中身がないからこそ、大きなことをいいます。それに引きずられるのは、まだ信仰の未熟な人々です。18節後半~19節です。滅亡の奴隷でありながら(それだからでしょうか)、まだ不確かな者たちを誘惑します。自由を与えると約束しながら、キリスト(者)の自由とは正反対のところへ人々を誘導します。


 そして一旦キリスト者となりながら、惑わされてしまう人々の悲劇が描かれます。20・21節です。以前にも申し上げましたが、私が洗礼を授けるための準備勉強会で必ず申し上げることは、洗礼を受けていながら離れる位ならば、洗礼を受けないほうがましだということです。義の道を知るならば、キリストの弟子として新たな歩みをはじめます。それなのに、以前の状態に戻ってしまうならば、それはキリストに対する裏切りです。義の道とは、本来決して義ではない私達が、イエス・キリストと出会って、神の義を知る道です。


 最後に、この手紙の著者は、犬や豚を取り上げます。22節てす。せっかくきれいにしても、台無しにしてしまう愚かさが描かれています。


 私達は、偽教師のようなものに惑わされることなく、正しくキリストに従って、義の道を歩みましょう。レントの今、キリストの苦しみと十字架を思いつつ、それでもなお、感謝と喜びをもって日々を生きることができます。