イースターおめでとうございます。


 今日はルカの講解説教をお休みして、ヨハネの復活の記事です。10節までが二人の弟子の話で、11節からマグダラのマリアの記事です。二人の弟子は、ペトロとイエスが愛した弟子です(これはユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者を象徴するという解釈もある)。もう一人の弟子は先に到着しますが、お墓の中まで確認するのはペトロです。どちらが偉いとか上だとかいうことではないでしょう。そして二人とも、他の弟子たちに告げるでもなく、ただ帰ってしまいます。この箇所で注目すべきなのは、8節です。「見て、信じた」。復活の主を見たのではなくて、空の墓を見て信じました。


 マグダラのマリアは、その後も泣いていました。11~13節です。他の福音書と異なり、天使たちはあまり役割を果たしません。次は14・15節です。マリアは、相手が主イエスだと分かりません。
 主イエスに語り掛けられて、はじめて気が付きます。16節です。「ラボニ」は明らかに主イエスへの呼びかけです。そして主イエスから言葉を掛けられます。17節です。「すがりつくのはよしなさい」という言葉と昇天の予告です。ヨハネの神学では、神のもとに昇るのが栄光であって、復活と昇天の間は微妙な時期です。


 そしてマリアは、「私は主を見ました」と語ります。18節です。しかしここに、マリアの感情・気持ちは一切描かれていません。しかし私達は、マリアが喜びに溢れていたと推測します。主イエスに執着していた(たとえ死んで遺体となっていても)マリアが、その執着から解放されて、弟子たちの所に行きました。


 私達もこのイースターにあたって、信仰の喜びに満たされて、「私は主を見ました」と告白する者でありましょう。