今日は、最後の晩餐の出来事です。これはまた、主の晩餐の制定の出来事でもあります。幕張教会では、それなりに事情があって、よくあるように毎月聖餐をしていません。しかしまた年に五回の聖餐(これは私が赴任するよりも前からのことですが)とても大切に行っています。


 聖餐の制定は、福音書によって少しずつ異なりますが、今日は細かいことにはこだわらないで、ルカに従います。また現代的な問題として、聖餐の対象(誰が聖餐にあずかるべきか)の問題もありますが、今日は触れません。


 今日は、新しい契約のしるしとして聖餐を制定なさったことに集中します。まず、14~16節です。ここで注目したいのは、主イエスが「切に願っていた」ことです。この後主イエスは逮捕され(弟子たちは蜘蛛の子を散らすようにいなくなります)、翌日には殺されてしまいます。その前に、弟子たちと(使徒と書かれていることにも注目)過越の食事を強く望まれました。


 次に、17~20節です。ここに(そして十字架と復活において)新しい契約が結ばれます。古い契約では、神の民であるはずのイスラエルが神の掟を守ることができずに失敗しました。だから、新しい契約が必要です。私達は、聖餐にあずかるたびに、主との、それゆえ神との、新しい契約に思いを馳せます。


 最後は裏切りの話です。21~23節です。ユダの裏切りについては、またその箇所でもう少し丁寧にみましょう。今日からはじまる新しい一週間も、自分たちが主の新しい契約の民であるとの自覚をもって生きましょう。