今日の聖書箇所も前回の終末の話の続きです。前半は、エルサレム崩壊の時にどうしたらよいかが語られています。後半は人の子・主イエスが再びくることについて、です。


 まず、前半20~24節です。何よりも勧められていることは、山に逃げることです。実際に、この福音書が書かれるよりも前に、ユダヤ独立戦争があって、エルサレムは滅亡しました。しかしキリスト者は主イエスの勧めに従って、逃げましたから、滅亡を免れました。私達は時には自分の命をもかけて戦わなければならないこともあるでしょう。しかし神の都であったエルサレムには、もはやそのような価値はないと、主イエスは仰るのです。それどころか、彼らには神の裁きがくだります。異邦人の時代が終わるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らさます。それが現代まで続いているかとうかは微妙なところです。少なくともこれ以降、長くイスラエルは独立国として認められることはありませんでした。亡国の民となったのです。


 後半は、人の子がやってくる話です。25~28節です。人々が不安になり、気を失う中で、主イエスは来られます。主イエスの勧めは、「身を起こして頭を上げる」ことです。「このようなことが起こり始めたら」には二つの読み方があります。まず、まだ現在よりも先のことだという読み方もできます。しかしもう一つの読み方は、もう既に終わりは既にはじまっていると読みます。確かに終末の時は、既に今はじまっています。そこで私達が頭を上げて生きることのできる理由は何でしょうか。


 それは、本来神の民であったユダヤ人がもはやそうではないからでしょうか。あるいは、不安や恐れに包まれるからでしょうか。そうではありません。救いの時、解放のときが近づいているからです。