イースター、おめでとうございます。
今日与えられました聖書箇所は、私達が受けた(あるいはこれから受ける)洗礼とは何かを今一度思い返させてくれる聖書箇所です。3節です。私達は、キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けます。しかしそれはまたキリスト・イエスの死にあずかるために洗礼を受けたということです。
死がなければ復活もありません。主イエスは確かに死なれました。そして復活なさいました。8~10節です。主イエスは、もはや死ぬことはありません。死はキリストを支配することはありません。主は、ただ一度罪に対して死なれました。そして、神に対して生きておられます。
私達も、このキリストと共に、罪に対して死んで、神に対して生きます。11節です。ではその復活の姿がどのようなものであるのか、私達には分かりません。5・6節です。復活の体、復活の姿が与えられることは知っています。罪の奴隷にはなりません。最後に三っつのことを申し上げて終りましょう。
まず第一に、復活には「からだ」があるということです。霊魂のみとか精神のみというのではなくて、復活の体があります。それだから、埋葬は土葬でなければならないという人々もいます(私達はそういうふうには考えません)。そして第二に、この復活の姿がどのようなものなのか、私達は知りません。ただ聖書から、栄光の姿、現在の私達には想像もつかない姿であることを知っていれば十分です。最後に、私達は今、(まだ分からない)復活の姿を楽しみに待っていてよいのです。さあ、今日、主イエスの復活を喜び祝うと共に、私達の将来の復活を望みみましょう。