今日の聖書箇所は、前回の箇所に、28=32節を合わせたものです。前回は、二人の弟子が、主イエスによって、(旧約)聖書の全体を、主イエスとの関係で説明されました。なおも先へ行こうとなさる主イエスを二人は引き止めます。28・29節です。主イエスは二人に説得されて泊まることになさいます。


 次に、30・31節です。この箇所で少し奇妙なのは、その家の主ではなくて、主イエスがパンを裂いていることです。普通は、その家の主がパンを裂きます。エリコまでの道中で主イエスが二人に様々なことを教えたので、二人は主イエスを先生・主と認めていたのかもしれません。特に注意書きがないので、とても自然な流れとしてそうなったのでしょう。


 そこで二人は目が開けて、主イエスだと分かりますが、同時に主イエスの姿が見えなくなります。この後も、復活の主イエスは、弟子たちに姿を表しますが、この箇所では姿が見えなくなります。これは、今の私達は同じになったということです。復活の主は、今も、神の右の座におられるのと同時に、目には見えなくてもいつも私達と共におられます。このエマオのときも、姿は見えなくなっても、主イエスは二人の弟子と共におられるのでしょう。


 そして二人は、エマオへの道中のことを思い返します。32節です。二人は語り合います。「私達の心は燃えていた」、と。心が燃えているときではなくて、後から燃えていたと気がつきます。


 私達も私達が絶望の中にあるときに、必ず共にいて下さり、私達を励まして私達の心を燃えさせて下さる主イエスと共に生きましょう。