今日の聖書箇所も前回の終末の話の続きです。今日は特に三つのことをみましょう。まず第一に「弁明の準備はいらない」です。12~15節です。
 私達は様々な場面で不安になります。だから準備をします。信仰の弁明ならば、キリスト者・教会が迫害されてきた歴史を考えれば、なおさらでしょう。しかし主イエスは準備はいらないと仰います。確かに小事に忠実でなければならないことは確かです。しかし信仰の弁明は必要ありません。なぜなら、それは証の機会であり、またキリストが必要な弁明は備えてくださるからです。


 第二に、16節と18節の関係です。R。「殺される」と「髪の毛の一本も」の関係です。一見矛盾するように見える主イエスの言明ですが、この二つが実は矛盾なく成立することが、信仰が深まるにつれて、分かってきます。


 それは、第三の点との係わりで分かってきます。19節です。私達は忍耐する中で、魂・命・存在の根幹を自分のものにします。そこでは、この世界の命さえも一番重要な事柄ではなくなります。神が、私達の髪の毛一本さえも支配しておられることが分かります。 そもそもなぜ弁明の準備の必要がないかといえば、神に全てを委ねる信仰があれば、そういうことは不要だからです。


 今私達はレントの時を歩んでいます。主イエスの十字架と復活とが、私達の不安や心の患いを全て取り去ってくださることに信頼しましょう。