今日の聖書箇所も、32節までは前回とかぶっています。エマオへの途上で主イエスから教わった二人の弟子は、エマオについてから、主イエスのパンを裂く様子をみて、この旅人が主イエスだと分かります。しかしそれと同時に主イエスの姿は見えなくなってしまいます。
その後、二人は、既に夕食時で暗かったでしょうに、直ちにエルサレムへ引き返します。33~35節です。そして11人と二人は情報を共有します。ようやく弟子たちは主イエスの復活を信じます。
そこへ主イエスが現れます。36~40節です。弟子たちは怖くなって、亡霊を見たのだと思います。ここでまず注目したいのは、主イエスの挨拶の言葉「あなたがたに平和があるように」です。これは、「シャーローム」「サーレム」であって、挨拶の言葉です。とても良い挨拶の言葉です。深い意味はないかもしれませんが、主イエスが弟子たちにかけた最初の言葉が、「平和があるように」なのは、素晴らしいことではないでしょうか。まず主イエスが「平和があるように」と語られ、この言葉に押し出されて、弟子たち・私達は世界に遣わされます。亡霊と誤解する弟子たちに、主イエスは自分が生身の人間として復活なさったことを証します。
それでも弟子たちはまだ信じきることができません。42・43節です。ここも興味深い表現です。「喜びのあまり」なのに、「信じきれ」ずとは、どういうことでしょうか。復活の主イエスと共にいる喜びは、私達の理性や理解を越えて大きいのです。
そして最後に、平和聖日にあたって、今一度、神の平和をみましょう。世界中で、自分たちの「正義」に基づく殺し合いが続いています。こんな時代だからこそ,私達は自分の正義にしがみつかないで、「平和があるように」と送り出されている自覚をもちましょう。

