前回は、神の国・神の支配は、からし種のようなものだという箇所でした。神の國に入るとは救いです。だから、「救われる者は少ないのか」という問いが生まれます。主イエスは、この問いに答えているようでありながら、答えていません。皆さんお気づきでしょうか。まず22節でルカは、主イエスとその一行がエルサレムに向かっていることを再確認します。22節です。
そして一つの問いがあって、主イエスは語ります。23・24節です。主イエスは救われる者が多いか少ないかには触れません。ただ、「入ろうとしても入れない人が多い」と仰います。これは、問いに対して肯定の答えのように思えます。しかし「狭い戸口」が「気づかれにくい戸口」だとしますと、ここでも人数が問題になっているのではありません。
そしてこの戸口は閉められてしまうときが来ます。25~28節です。だから閉められてしまう前に、狭い戸口から入りなさいという勧告です。人数が多いとか少ないとかそんなことを気にしている暇はないのです。「自分が」狭い戸口から入ることが肝心です。
そして最後に神の国の宴会の様子です。29・30節です。先の者と後の者というのは、第一義的には、イスラエル・ユダヤ人と、私達異邦人のことでしょう。これは、パウロのローマの信徒への手紙にも一致しています。しかしそれだけではなくて、もっと一般化できます。救いは、時間的な順番が問題ではありません。そしてそれは、既に救いに入れられた者たちの自覚としても大切なことです。既に救いに入れられたことを今喜んで生きることができているかどうかが問われます。