今日の聖書箇所から、しばらくの間、偽預言者・偽教師の話題です。偽預言者は、旧約聖書に出てくる預言者--彼らは神の言葉をあずかって人々に伝える役目をもっています--との対比で、あずかってもいない神の言葉をあずかっているかのように振る舞って、人々を騙す人々です。人々が神の言葉に従って生きることを邪魔します。偽教師も同じです。教師たちが、キリストに従って人々が生きることができるように、導きます。それに対して、偽教師は、キリストから離れるように、道を誤るように導きます。
1節です。「現れる」と言いますと、また現れていないかのようです。しかし既に、密かに忍び込んでいます。それは、滅びをもたらす異端です。自分たちを贖ってくださった主、イエス・キリストを拒否します。それは例えば仮現説のようなものもあります。また近代におけるような、イエスを人間としてのみ捉え、模範的な人間とするものもそうです。様々な仕方で、主を拒否する人々があらわれます。しかも密かにわかりにくい仕方で。それは自分の身に速やかな滅びをもたらすものです。
次に、2節です。これもすぐに「みだらな楽しみ」と分かるような仕方ではないでしょう。その結果、真理の道はそしられます。真理の道は、まっすぐに私達がキリストに従う道です。しかしそこからそれさせようとする様々な力が働きます。
最後に3節です。彼らの特徴は、欲深いこと、また、うそ偽りです。彼らのうそに惑わされるならば、彼らと同じように滅びに至るしかありません。
この箇所の滅びの特徴は、終末的ではなくて現在的であることです。確かに、主イエスが再臨して、最後の審判がなされのときにも、裁きは起こります。しかしそれ以前に、既に裁きも滅びも起きています。例えばせっかく改心して、キリストにつながったにもかかわらず、そこから離れてしまう人々もいます。残念なことですが、これは事実です。
新しい一週間、主の御心を尋ね求めて生きましょう。

