今日の聖書箇所は、いわゆる権威問答と呼ばれているものです。主イエスは前回の箇所で宮清めをなさいました。これは、当時の宗教的な権力者には、我慢ならないことです。なぜなら商売をする人々は、きちんと彼らの許可・認可のもとで商売していたからです。つまり、彼らは、自分たちの権威・権力を否定するもの、楯突くものとしか受けとれません。この権威問答は、結局彼らが応えようとしないので、きちんとした問答にすらなっていません。


 まず彼らは問います。1・2節です。それに対して主イエスは、洗礼者ヨハネのことを語ります。3・4節です。彼らが、神からであれ人からであれ、答えたならば、そこから問答はきちんと広がったでしょう。しかし彼らは、答えません。5~7節です。彼らが、ヨハネを信じなかったことは明らかです。しかし、民衆を恐れているので、正直に答えることもできません。権力・権威があるものたちが、一番恐れるのは、人々の反発です。そこには、殺されるのではないかという、死の恐怖があります。


 主イエスは真逆です。今、殺される覚悟でエルサレムに来ています。ただしゲツセマネの祈りから分かるように、最後まで神が計画を変更してくださることを願い求めてもいます。この死をも覚悟している主イエスの姿と対比すると、彼ら権力者の脆弱さがよく分かります。二千年の間、実に大勢の方々が、死をも恐れないで主イエスに従いました。


 私達もまた、(実際にはどうなるか分かりませんが)。主イエスの問いに対して答えない生き方ではなくて、しっかりと主イエスに従っていく歩みをしましょう。