次の聖書箇所は、いよいよ主イエスのエルサレム入城です。その直前に主イエスは、もう一つ例え話をなさる。それが今日のムナの例えです。マタイ25章には、タラントンの例えがあって、こちらのほうがよく知られているかもしれません。


 この例え話が語られた理由も描かれています。11節です。主イエスが大勢の群衆に歓迎して迎え入れられたとき、群衆の期待は、すぐにも神の国が訪れるのだという期待です。それに対して主イエスは、留守にしていなくなってしまう主人を描きます。12~14節です。当時のローマ社会では、ローマ帝国の許可があってはじめて、王を名乗ることができました(参考、二人のヘロデ)。


 問題は王位をえてご主人が帰って来たときです。15節以下にその様子が描かれています。きちんと稼いだ者には報酬が与えられます。しかし、隠し持っていて何もしなかった者は罰を受けます。


 この例えは、明らかに、十字架と復活の後、教会の時代への言葉です。私達は、それぞれに神様からムナを与えられています。しかしそれを出し惜しみしないで、神様のために用いているかどうかが常に問われています。商売であれば、失敗の可能性もあります。しかし、神の言葉・福音については、失敗を恐れる必要はありません。なぜならば、全てを支配される神が守り導いてくだるさかたです。この例えでは、主人はいなくなっています。しかし私達の場合には、主イエスは聖霊において、いつも私達と共にいてくださいます。私達は、この主イエスに信頼して、自由に大胆に励みましょう。