今日からペトロの手紙二の講解説教です。尤も最初に二つのことを述べておくべきでしょう。まず第一に、先週がクリスマス礼拝です。そして来週が新年礼拝です。例年しておりますように、ローズンゲン年の聖句から御言葉に聴きます。だから、講解説教の2回目は1月11日になります。今日はこの手紙の最初の挨拶の言葉だけをみます。本文に入るのは、1月からです。


 まず、ペトロの手紙一との関係ですが、多くの学者がいうように、全く別の手紙だとみるべきでしょう。ペトロの手紙一でも、ペトロが書いたとする根拠はあまりありませんでした。ましてや、この手紙は、1世紀末から2世紀に書かれており、全く別の手紙です。1節に差出人と受取人が描かれます。1節です。ペトロをシメオンと表記する箇所は少ないのですが、なくはありません。イエス・キリストの僕であり、使徒という言い方は、パウロの手紙にもよくあるもので、僕は奴隷ということですから、謙遜表現ともとれますが、旧約聖書の伝統に従って、むしろ尊称とみるべきでしょう。神の僕とは、神によって特別に分かたれた、特別な任務を帯びた人です。


 宛て名人の、私達と同じ尊い信仰を受けたというのは、宛て名人に対する著者の敬意を表現しています。ただし、ここで注目すべきことは、「神と救い主イエス・キリストの義によって」です。人間的功績が入る余地はなく、ただ一方的な神からの恵みです。いま一つ注目すべきことは、宛て名人がはっきりしないことです。どの地方・地域の人々かはおろか、ユダヤ人キリスト者か異邦人キリスト者かさえ分かりません。広く様々な教会で読まれることを願って(いわゆる公同の書簡であることを願って)このような文章になったという説もあります。


 最後は、祝福の言葉です。2節です。私達が恵みと平和を得るのは、神とイエスを知ることによります。他の、別の道はありません。また「ますます豊かに」とは、既に与えられているのが前提です。しかし、恵みと平和は、一度与えられて終わりではなくて、「ますます豊かに」与えられます。これがキリスト者の信仰の成長です。