今日の聖書箇所は、この福音書に描かれる最後の例え話です。主イエスが、これから十字架へと向かう中で、どんな思いでこの話をなさったのか、様々に思い巡らすこともできます。

 この例え話自体は難しいものではありません。次々に送られる僕は、それ以前の預言者たち、最後の息子は、主イエスご自身のことでしょう。そして、権力者たちが自分たちに当てつけているのだとすぐに分かるのですから、分かりやすい例えです。

 しかしルカ福音書には、他の二つの福音書にはない特色があります。16節後半です。とても素朴で素直な感想です。しかしその民衆が、しばらく経つと、「十字架につけろ」と叫びだします。
 ぶどう園で働く農夫たちの何が問題であったのかは、明らかです。主人のぶどう園を自分たちのものにしようとしたことです。この主人は、神同様、いつも共にいて命令する方ではなくて、農夫たちに全てを任せて、自由な裁量で彼らが働くことができるようにしておられます。だから農夫たちは、ぶどう園が自分たちのものであるかのような錯覚に陥ってしまいます。

 これは、ユダヤ人だけの問題ではなくて、私達人間全てに共通する問題ではないでしょうか。私達は全てのものを神からあずかっています。あずかっているものとして大切にする責任があります。にもかかわらず、まるで自分のものであるかのように錯覚する所に、罪があります。私達人間の傲慢があります。そのような罪が、主イエスを十字架に殺してしまいます。しかし人間の(まずユダヤ人の、更には私達の)罪の結実としての十字架があります。

 しかしそのような罪の勝利に見えた十字架を越えて、神は復活の勝利を備えてくださいました。
 私達は、神のものを「自分のもの」だと勘違いしてしまう罪にとどまるのではなくて、神のものを神のものとして大切にしましょう。