前回は、いちじくの例え主イエスがお語りになる最後の例え話でした。私達は、終末・再臨に備えて、目を覚ましていることが必要です。


 今日の箇所から、十字架直前の様々な出来事がはじまります。まず後半、過越の食事の準備をみましょう。7~13節です。ここで二人の弟子たちは、主イエスが仰った通りになる不思議を体験します。この経緯については、二通りの解釈があります。一つは主イエスが前もって準備しておかれたというものです。いま一つは、主イエスは神の子であられるのだから、前もって手配しなくても、そうなるのだというものです。どちらでもかまわないでしょう。主イエスが弟子たちに仰った通りだったことが大切です。


 ここで注目される人物は、水瓶を運んでいる男性です。普通水瓶を運ぶのは、女・子どもなので、目立っていたのではないかと推測されます。また、二階に広間があるのも、当時としては目立つことではありました。主イエスの仰った通りに準備ができました。


 次に前半です。1~6節です。今日の説教題は、6節からです。「良い機会」と申しましても、事柄自体が良いわけではありません。人殺しの計画です。主イエスを殺そうとする権力者たちは、ユダの提案に渡りに舟と乗っかります。そういう悪い計画の機会を狙っています。そういう機会を「良い機会」というのはどうなのでしょうか。


 事柄自体は「悪い」ことです。しかし私達人間の視点では「悪い」ことですが、神のご計画を思うとどうなのでしょうか。神は独り子主イエスの命と引き換えに、私達全ての人間の罪を赦します。悪いことを行う人間の行ないを神は、ご自身の計画に用いてくださいます。(例えば、出エジプトの時のファラオなど)。


 私達は、私達人間の悪や罪を越えて働く神のご計画に信頼しましょう。