前回は、召し使いでした。これは家付きの奴隷です。奴隷制度のなくなった現代では説明が必要です。更に、今回は妻(と夫)です。まず、1~4節です。たとえ御言葉を信じない(二通りの可能性があります)夫でも、妻の無言の行ないによって,信仰に導かれることもあります。様々な可能性がありますが、こういうこともあります。実際に、女性が先に教会に来て,夫が後から導かれるということも多いでしょう。
そして旧約聖書に出てくる女性たちです。例を挙げればきりがないのでしょう。ここではサラだけが取り上げられています。善を行ない、何事も恐れない(6節)ならば、サラの娘(サラと同じように神に従う者)となります。
最後7節です。自分よりも弱い者というのは、現代においては違うかもしれません。聖書の書かれた時代は、まだ父権制社会の時代で女性の地位や立場は弱かったのです。孤児・やもめ・他国の寄留者という言い方自体にも、その社会的な地位の低さが表れています。そしてそのような弱い立場の者を尊敬しなさいと言われています。しかも大切なことは、命の恵みを共に受け継ぐものだという自覚です。なぜ、弱い者を虐げ蔑み、低い者として扱うのではなくて、尊敬するのでしょうか。命の恵みを共に受け継ぐ仲間だからです。
この社会では様々な違いがあって、立場や権力、力の違いがあります。しかし、命の恵みを共に受け継ぐという点では何の違いもありません。このことをわきまえて交わるとき、私達は、命の恵みを共に受け継ぐ幸いを生きます。

