今日の聖書箇所は、三つの部分からなっています。ことに51節の言葉から、50節までで大きな一固まり、51節から別の大きな一固まりがはじまるのだという理解もあります。その理解もまた正しいでしょう。しかし今回は、この三つの対話の共通性を考えて、こういう区切り方をしました。
 まず最初の段落は、弟子たちのだらしなさ・ふがいなさがよく出ている単元です。46~48節です。「誰が一番偉いか」、これほど単純で愚かな議論はありません。主イエスは、偉さと幼さ・小ささの関係を語って弟子たちの議論をやめさせます。


 しかしヨハネは、更に食い下がります。49・50節です。逆らわない者は味方。今日説教題にしました主イエスの言葉です。このことが分からないで、どれほどむなしい争いが起こっていることでしょう。自分と異なる者は敵だ、そして敵は殲滅するのが正しい。そう考える人々によって、平和は壊され続けています。主イエスは、私達に敵をも愛する愛を求めておられます。そしてその前提として、逆らわない者は味方です。


 次の51節は大きな転換点とも読むことができます。確かにここから、エルサレムへ向かっての最後の旅、十字架の死へ向けての旅ははじまります。しかし主イエスはその宣教活動のはじめからそこへ向かっていたともいえます。


 そして次のサマリア人の出来事は、「逆らわない者は味方」という主イエスの宣言を強めるものになっています。51~56節です。実際にヤコブとヨハネが天から火を降らせて焼き滅ぼす(ガザ地区で起こっていることはまさにこういうことでしょう)ことができたかどうかは分かりません。しかしそれは、主イエスの御心ではありませんでした。主イエスが望まれるのは、戦争ではなくて平和です。私達は、「逆らわない者は味方」だという主イエスの言葉を胸に刻みましょう。