多くの宗教には、禁忌(タブー)、ことに食べ物の禁忌があります。国際会議などを開きますと、料理人の方々は、苦労するそうです。私達にはそういう禁忌はありません。ユダヤ教では、豚肉は食べません。だから、今日の聖書箇所に豚が出てきて、豚飼いが出てくるのも、異教の地だということです。
異教の地でも、主イエスは悪霊に憑かれた人を癒します。湖でおぼれ死んだ豚のことを思うとかわいそうですが、その後の豚飼いをも含むゲラサ地方の人々の態度は特徴的です。37節です。ルカは「すっかり恐れに取りつかれていた」と解説します。その通りですが、そこには経済的な理由もあるのではないでしょうか。ユダヤ人にとってはどうでもいい豚ですが、ゲラサの人々にとっては大切なものです。かれらは、恐れに取りつかれて、自分たちの仲間の一人が悪霊から解放されるかどうかよりも、自分たちの経済的事情のほうが優先しています。
私達は、救いや解放よりも別の何かを優先してしまうことはないでしょうか。今年最後の礼拝にあたって、一年を振り返りつつ、主イエスによって解放された私達として、この解放にふさわしい一年であったかどうか反省しましょう。(説教音声は録音出来なかったので、フェイスブックの録画をご覧ください。)