私は讃美歌は基本的に好きです。かつては、聖書の朗読と説教があればよい、讃美歌などなければ礼拝はもっと楽しいのに、と、思う位、讃美歌が嫌いでした。しかし神をほめたたえて歌うことの喜びを知ってから、讃美歌が好きになりました。


 しかしどうしても違和感を覚えてしまう、これは違うのではないかと感じてしまう讃美歌もあります。その一つが、200番です。そこでは羊の気持ちばかりが歌われています。それは、この聖書箇所とはかけ離れているのではないでしょうか。今日の聖書箇所が語っているのは、点の大きな喜びであって、羊の気持ちではありません。


 まずこの場面の主イエスの言葉が語られたきっかけは、ファリサイ派や律法学者の人々の不平です。1・2節です。彼らは自分たちこそ、、救われる(神の国の食卓につく)のに相応しいと思い込んでいました。品行方正で、神の戒めに生きようとしていたからです。彼らは、徴税人や罪人を馬鹿にしていました。そういう人々を退けない主イエスに不平不満をもっていました。


 でから主イエスは、思い違いをしている彼らに羊の例え話をなさいます。3~7節です。ここで語られているのは、悔い改める必要のない99人よりも、悔い改める一人を喜ぶ大きな喜び、天の喜びです。


 私達も新しく洗礼受けて仲間に加わる方がいれば、実に大きな喜びがあります。しかし私達よりも前に、天には、神には、大きな喜びがあります。私達の喜びは根拠のないいい加減なものではなくて、神の喜びという確かな根拠のあるものです。