前回同様今回も、主イエスは主イエスのもとに来る人々に対して、直接には答えていません。前回は救われる者の人数の問題でした。今回はヘロデの話です。31節です。このファリサイ派の人々の発言は、主イエスを心配してのものなのか、主イエスをとにかくここから追い出したい、という意図なのか、私達には分かりません。


 それに対する主イエスの返事は、最初の一言はヘロデへの言葉です。32節です。ヘロデへの「狐」という呼びかけは明らかに蔑称です。ヘロデのしてきたことを思えば当然です。そして主イエスは、ここでも十字架を示唆します。そしてヘロデがどうであるかに関わりなく、主イエスは神の定めた自分の道を行くのだと宣言なさいます。33節です。主イエスは、預言者の列に加わって殺される覚悟を既にしています。「自分の道」というのは、神と関係ない、自分が定めた道という意味ではありません。神との関係において、神によって定められた道です。


 そしてエルサレムのために嘆きます。34・35節です。神の子、救い主である主イエスがおいでになった。これは、めん鳥が雛を羽の下に集めるようなものです。神はイスラエルに何度も裏切られながら、何とか救おうとなさいます。その究極にあるのが、独り子主イエスの派遣です。しかしこの方をもイスラエルの人々は拒絶なさいます。そしてそれは、十字架の死に至ります。


 ヘロデが殺そうとしているかどうかは、主イエスの眼中にありません。主イエスはただまっすぐに自分の道を行きます。私達もまたキリスト者としての人生において、生きる上での様々な事柄に振り回されるのではなくて、ただまっすぐにイエス・キリストの後に従って行きましょう。主イエスが今度は私たちのために嘆く必要がないように。