今日の聖書箇所では、徴税人のレビが招かれて、従います。27・28節です。四人の漁師たちと同じく、全てを捨てて従います。徴税人は、植民地支配をしていたローマ帝国の代理人として、税金を徴収しますから、多くのユダヤ人から嫌われていました。税を余計に集めて、私腹を肥やす者たちもいたようです。レビは、収税所に座っていますから、徴税人を束ねる元締めのような立場ではなくて、下っぱです。それでも、この後盛大な宴会を催しますから、それなりに蓄えていたようです。29節です。私達から見ると、そんなに不自然な感じはしませんが、当時は罪人(徴税人なども含めて)と共に食事をすることは、正しい(自分が正しいと思い込んでいる)人々にとっては、非常識なことでした。だから、ファリサイ派などの人々は文句を言います。30節です。
それに対して、主イエスははっきり仰います。31・32節です。当時の社会では、ファリサイ派や律法学者の人々は正しい人々で、徴税人のような人々は正しくない罪人だと考えられていました。しかし(前回も申し上げましたように)、主イエスは彼らの罪、むしろ当時の社会で罪人といわれた人々よりも大きな罪を見抜いていました。彼らは本当は見えていないのに見えると言っている(ヨハネ福音書9章41節)ので、罪が残ります。自分の罪に気が付かないで、正しいと思い込むことこそ、実に大きな罪です。
私達は、四人の漁師や重い皮膚病の人、中風の人、レビと同じように、まず神様に罪を赦して頂く所からはじめるよりほかにありません。しかしなまじ教会には悪人よりも善人が集まるので、ファリサイ派の人々のような過ちを犯しがちです。さあ、罪人を招くために来てくださった主イエスに招かれた罪人であることを自覚して、この信仰の原点にしっかりと立ちましょう。