今日の聖書箇所前半は、主イエスの家族の話です。後半は嵐を静める話です。19~21節です。主イエスの母、兄弟(家族)とは、肉親のことではなくて、神の言葉を聞いて行う者たちです。それは前回までの文脈でいえば、良い地に蒔かれた種のことです。もしも私達が、そのようなキリスト者として生きているのであれば、私達こそ主イエスの家族なのだと言って頂いているということです。


 次の突風を静める話は、主イエスの家族であることとは真逆の話のように思えます。22~25節です。もしも主イエスを信頼しきって、神の言葉を行う者として生きているのならば、「ああ主イエスが安心しきって眠っておられるのだから、何も心配はいらない。私達はただ自分たちのすべきことをしよう」となったでしょう。しかし弟子たちは、危険と不安にさいなまれて、主イエスを起します。25節前半には、信じることのできないでいる弟子たちへの主イエスの叱責の言葉でしょう。


 この主イエスの叱責の言葉は、同時に私達への慰め・励ましの言葉です。私達はいつも自身をもって「私達こそは良い土地だ」とはいえません。しかしそんな弱い私達は、主イエスに助けを求めて叫んでよいのです。主イエスは叱りつつも私達を助けて下さいます。決して良い土地でない、主イエスの家族ではありえない私達を耕して、主イエスは私達を良い土地にして下さる、私達はそのように主イエスに信頼して良いのです。

 会堂建築でも、どんなに立派な会堂を建てようとも、「私達教会は船だ」という自覚を見失ってはならないでしょう。