今日から講解説教に戻ります。前回の恐らくは老人であるシメオンの後に、今日の聖書箇所では、アンナという女預言者です。36・37節です。この女性の年齢は私達の翻訳では84歳とはっきりしています。しかし、やもめになってから84年という理解もありまので、そうだとすると、百歳を越えていたことになるでしょう。いずれにせよ、かなりの高齢でした。女預言者ですから、中身は全く分かりませんが、神の言葉を人々に取り次ぎ説き明かしてきたのでしょう。断食と祈りをして、夜も昼も神に仕えていました。
7年間の夫との暮らしということから、様々な想像をすることもできますが、それよりも大切なことは、神と向き合い続ける生活の中で、幼子主イエスと出会ったときに、それが神の恵み、神の救いであることを見抜く力を与えられていたことでしょう。38節です。これを聞いた人々の反応は描かれていません。
そして両親は幼子主イエスを連れてナザレに帰っていきます。39・40節です。ここで大切なことは、神の恵みに包まれて育ったことです。ひたすら待ち望んだシメオンもアンナも、神の恵みに包まれていたことと思います。そして二人が出会った救いそのものである主イエスも、神の恵みに包まれています。何のために主イエスがお生まれになったのか。それは、私達の救いのためです。私達が今度は、神の恵みに包まれて生きるようになるためです。人生には様々なことがあります。いつも順風満帆というわけにはいきません。逆境や困難もあります。しかしそれでも、私達が目を上に上げて神を仰ぐならば、私達は自分が神の恵みに包まれていることが分かります。