羊飼いと天使たちの記事で、前回は「喜びを見る」というテーマでみました。今日は、「神に栄光、地に平和」です。そして来週もこの聖書箇所から聴きます。今回は三回(三週)にわたって、三つのポイントからそれぞれみていきます。
 

 今日の説教題は14節の天使たちの歌声からとりました。13・14節です。私達の日本語訳聖書では、今日の説教題と、対応が異なります。つまり「いと高きところ」と「地」が、「栄光」と「平和」が、「神」と「御心に適う人」が対応しています。しかし実は、説教題のような解釈も可能です。といいますのても、後半の部分は、二つに分けて読む、地には平和が、人々には善意があるように、と、読むことができます。
 

 まず私達がもっている翻訳で、いかに解釈したらよいのかをみてみましょう。まず疑問になるのは、平和というのは全体の状況であるのに、御心に適う人たちだけに平和をいうのはおかしいのではないかということです。平和は「平安」という意味もありますので、たとえ同じような状況であっても、神の心に適う人々には平安があるのだと読みます。更にプロテスタント的に厳しいことをいえば、「御心に適う」者など、誰もいないのであって、そんな私達を神はキリストにおいて「御心に適う」者たちにしてくださいます(参考、ローマの信徒への手紙、「まだ私達が敵であったときに」)。
 

 次に、キリストの出来事は、その全てが神の善意であって、この神の善意に呼応して、私達人間の側にも善意が生まれる、これが別の翻訳の解釈です。神に栄光を帰さない人々は、地上に平和を願い求めることもありません。この二つのことは,表裏一体、二つにして一つです。さあ新しい一週間、神の栄光と地上の平和を願い求めつつ歩みましょう。