前回は、マリアの賛歌をみました。実に力強い、神の恵みにあふれた言葉でありました。そしてマリアは帰っていきます。
それから、ヨハネが生まれます。この誕生の出来事は、聖書ではたった一言です。57節です。そのことは周りに大きな喜びをもたらしました。ザカリアとエリサベトの夫婦も含めて、皆が諦めていたであろう子どもが与えられる。それは確かに喜び以外のなにものでもありません。
しかし八日目に名前をつけるときになって、異変が起こります。59~63節です。当時の風習として(特に祭司などはそうであったのかどうかは分かりませんが)父親や親戚から名前をとります。ところがヨハネの両親は、この家系には今までなかった「ヨハネ」という名前をつけます。この名前自体は珍しいものではありません。しかしザカリアの家系にはなかったのです。周りの人々は驚きます。
そんな中、ザカリアは急に口が利けるようになって、神を賛美します。64節です。このザカリアの賛美に、人々が声を合わせて喜ぶことができればよかったのですが、そうはなりません。最後65・66節です。皆恐れを感じました。喜ぶのではなくて、恐れました。神から良い知らせ、福音が届く所ではこういうことがよく起こるのだと思います。本当は喜んでいいのですし、喜ぶべきでしょう。しかし私達人間は、自分たちの理解の範疇を越える喜びが起こると、何よりもまず恐れてしまいます。
神の出来事は、いつだって恐れに満ちた反応を引き起こします。だからこそ、「恐れるな」(神顕現のしるし)があります。私達はキリストの十字架と復活の後の時代の者たちとして、素直に喜びつつ歩みましょう。