前回主イエスは逮捕されました。そして一番弟子のペトロが主イエスを否認して、激しく泣いたのでした。今日の聖書箇所はその直後です。見張りをしていた者たちです。63~65節です。以前にパッションという映画がありました。俳優をしている方が監督をした映画です。とても写実的な映画で、ことに暴力的なシーンが丁寧に描かれていて、血みどろの場面は、目を背けたくなるほどです。


 主イエスを殴りののしる場面を私達は軽く薄く読んでしまう傾向があるのではないでしょうか。どの程度の暴力かは描かれていません。しかし十字架の上でわずか6時間で息絶えたのだから、かなり痛めつけられていたはずです。


 そして夜が明けると、最高法院の裁判です。66~71節です。この箇所には、メシア(キリスト)、人の子、神の子と、主イエスが誰かということ理解する上で大切な言葉が出てきます。9章20節のペトロの告白のような真剣さはありません。何とかして、主イエスを陥れて罪に定めようという企みです。主イエスは、彼らの不誠実な態度を指摘した後で、「今から後、人の子は全能の神の右に座る」(69節)と仰います。神の右に座るとは、神の権能を授かって、神に代わって裁きます。最高法院の人々は、主イエスが「それはあなたがたが言っている」(70節)と仰るのに、「本人の口から聞いた」(71節)といって、裁判を終りにしてしまいます。ここには、神の正義が人の罪に破れた(かのように見える)様子が描かれています。これは、主イエスの復活によって逆転することを私達は知っています。