前回は、とても珍しい主イエスの子ども時代のエピソードでした。今日は、3章に入って、洗礼者ヨハネの記事です。まず、1~3節です。神の言葉がヨハネに降ったことが話の中心ですが、ルカは、それがいつ(どのような時代のこと)であったかに注目します。主イエスの出来事を歴史の中にきちんと位置づけたいという意志が感じられます。

 そしてこの箇所を読む上で、私達が知っておきたいことは、ヨハネのした洗礼活動の意味です。罪の赦しを得させるための「悔い改めの洗礼」です。私達にとって洗礼は、人生で一度限りのキリスト者となるための特別な事柄です。


 ヨハネ(また主イエス)の時代には、十字架と復活後の時代(私達の時代)とは、洗礼の意味が異なりました。洗礼は一回きりのことではなくて、今まで神の方を向いていなかった自分が悔い改めて、神の方を向き、新しく生きはじめるしるしでした。ユダヤ教や神道のみそぎに近いものがあります。
 ヨハネがした洗礼活動は、そのような悔い改めの洗礼です。その活動は、イザヤ書に描かれていたものです。4~6節です。救い主の前に、道備えをする者が現れる、それが洗礼者ヨハネです。しかしヨハネは何も英雄的なすさまじいことを要請したのではありません。10~14節です。特別に立派なことが求められたのではなくて、不正をしないこと、まっとうであることが求められています。

 主イエスを迎え入れるために必要なことは、すごいことではありません。ただ、不正を働かないでまっとうであることです。私達も、自分にできる準備をして主イエスを迎え入れましょう。