羊飼いと天使たちの記事、今日で三回目です。

 今日は特に、19節を中心に御言葉に聴きます。その前に、羊飼いたちが乳飲み子を見つけた後のことをみましょう。17・18節です。羊飼いたちは、天使が告げたとおりだったので、人々に知らせます。これは自然なことでしょう。問題になるのは、それを聞いた人々の反応です。皆、不思議に思った(驚いた)のです。その先、この後、羊飼い達の話を信じたとも、疑って信じなかったとも描かれません。これは、信仰の言葉、福音の言葉が聞かれるときに起こる、一般的な反応です。不思議に思う(驚く)ことの後には、この受容か拒否かの反応になります。受容する者は信仰の道を歩み、拒否する者は、信仰(教会)から離れていきます。再来週はペンテコステです。その時によく読まれる使徒言行録2章にもこれと同じことがあります。今日の聖書箇所では不思議に思った(驚いた)後のことは描かれません。


 ただマリアのことが描かれます。19節です。このマリアが心に納めて思い巡らしたことを私達教会は大切にしてきました。それは、まず第一に、沈黙を大切にすることです。神の出来事(言葉)の前に、まず必要なのは、沈黙です。それは雄弁は銀、沈黙は金というような意味ではありません。神の出来事・言葉を受け止める私達の姿勢として、神の言葉を聞くために、私達が沈黙します。


 そしてそこで、私達は様々なことを思い巡らします。一つのことだけに囚われるならば、神を信じることさえ危うくなります。この世界には、信仰を揺るがせるのに十分な位、多くの悲惨があるからです。しかし目の前の厳しい現実だけに囚われるのではなくて、私達の救いの現実を見るときに、私達は神の救いの事実を生きるのです。