幸いと不幸、これは私達人間にとって永遠のテーマです。だれでも幸い・幸福を望み、不幸を遠ざけたいものです。しかしなかなか上手くいかないものです。だからこそ、私達は、「足るを知る」という知恵を必要としています。たまたま同じ時期に二人の高齢の女性と係わりがありました。お金持ちだけれども不平不満ばかりの方と、生活保護で暮らしているけれども満たされている方です。私達には、様々な環境があります。お金や財産、人間関係など。だからこそ、今の自分の状況がどれほど神の恵みが溢れているかをしることは大切なことです。
まず、20~23節です。マタイとの決定的な違いは、「心の」がなくて、とてもストレートなことです。なぜ、貧しい、植えている、泣いている、憎まれることが、幸いだなのでしょうか。それは、神の国の将来において、満たされることが約束されているからです。
富んでいる、満腹している、笑っている、ほめられている人々は、真逆に不幸です。既に今、恵み・報いを手に入れてしまっているからです。
私達は、将来の報いのゆえに、今既に幸いです。貧しい・富んでいるをはじめ、全ては相対的なものに過ぎません。自分の富に後ろめたさを覚えるよりも、必要以上に与えられているならば、施せばよいのです。
神の国・天国における報いを思うという最も優れた仕方で「足るを知」り、今既に幸いなものとして生きましょう。